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太宰治「火の鳥」9
けさ早く警視庁へ電話したら、あなたたちの出ることを知らせて呉れたので、とにかく、ここへ来てみたわけです。したのおばさん心配していたぜ。留守に何度も何度も刑事が来て、この部屋を掻きまわしていったそうだ。おばさんには、おれから、うまく言って置きました。まあ、お坐りなさい。」さちよの顔を笑ってそっと見上げ、「よかったね。よく、君は、無事で、――」涙ぐんでいた。
さちよは、机の上に片手をつき、崩れるように坐って、
「よくもないわ。煙草ないの? おやおや、あたし、あなたの顔を見ると、急に、煙草ほしくなるのね。」
「これは、ごあいさつだな。」助七は、それでも、恐悦であった。
「僕は、しつれいしましょう。」青年は、先刻から襖にかるく寄りかかり、つっ立ったままでいた。
「そう?」さちよは、きょとんとした顔つきで青年を見上げ、煙草のけむりをふっと吐いた。
「御自重なさいね。僕は、責任をもって、あなたを引き受けたのです。須々木さんのためにも、しっかりしていて下さい。僕は、乙やんを信じているのだ。どんなことがあったって、僕は乙やんを支持する。じゃあまた、そのうち、来ます。」
「どうも、きょうは、ありがとう。」蓮葉な口調で言って、顔を伏せ、そっと下唇を噛んだ。
青年を見送りに立とうともせず、顔を伏せたままで、じっとしていた。階段を降りて行く青年の足音が聞えなくなってから、ふっと顔をあげて、
「助七。あたしは、おまえと一緒にいる。どんなことがあっても離れない。」
「よせやい。」助七は、めずらしくきびしい顔つきで、そう言った。「おれは、それほどばかじゃない。」つと立って、青年のあとを追った。
「君、君。」新富座のまえで、やっと追いついた。「話したいことがあるのだがねえ。」
青年は、振りかえって、
「僕は、あなたを憎んでいません。好きです。」
「まあ、そう言うな。」にやにやして言ったのであるが、青年の、街路樹の下にすらと立っている絵のように美しい姿を見て、流石にぐっと真面目になった。いい男だなあ、と思った。「すこし、君に、話したいことがあるのだけれど、なに、ちょっとでいいのです。つき合って呉れませんか。おれだって、――」言い澱んで、「君を好きです。」
三好野へはいった。
「須々木乙彦、というのは、あなたの親戚なんですってね?」あなた、といったり、君といったり、助七は、秩序がなかった。
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