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太宰治「火の鳥」7

ずいぶんくわしく調べていました。僕は、ひどいめにあっちゃった。それは、きびしく調べられました。あなただって、あの二日まえにはじめて逢っただけなんだそうだし、僕だって、須々木さんとは親戚で、小さい時から一緒に遊んで、僕は、乙やんを好きだったし、」ちょっと、とぎれた。突風のように嗚咽がこみあげて来たのを、あやうくこらえた。「やっと、僕たち、なんにも知らなかったのだということが判って、ひとまず釈放というところなのです。ひとまず、ですよ。これから、何か事あるごとに呼び出されるらしいのだから、あなたも、その覚悟をしていて下さいね。あなたは、からだも、まだ全快じゃないのだし、僕が、責任を以て、あなたの身柄を引き受けました。」
「すみません。」ふたたび、消え入るようにわびを言った。
「いいえ。僕のことは、どうでもいいんだけど、」青年は、あれこれ言っているうちに、この一週間、自分の嘗めて来た苦悩をまざまざと思い起し、流石に少し不気嫌になって、「あなたは、これからどうします? 僕の下宿に行きますか? それとも、――」
 ふたりは、もう帝劇のまえまで来ていた。
「入舟町へかえります。」入舟町の露路、髪結さんの二階の一室を、さちよは借りていた。
「は、そうですか。」青年は、事務的な口調で言った。いよいよ不気嫌になっていた。「お送りしましょう。」
 自動車を呼びとめ、ふたり乗った。
「おひとりで居られるのですか。」
 さちよは答えなかった。
 青年の、のんきな質問に、異様な屈辱を感じて、ぐっと別な涙が、くやし涙が、沸いて出て、それでも思い直して、かなしく微笑んだ。このひとは、なんにも知らないのだ。私たちが、どんなにみじめな、くるしい生活をしているのか、このお坊ちゃんには、なんにもわかっていないのだ。そう思ったら、微笑が、そのまま凍りついて、みるみる悪鬼の笑いに変っていった。

         ☆

 男は、何人でも、います。そう答えてやりたかった。おのれは醜いと恥じているのに、人から美しいと言われる女は、そいつは悲惨だ。風の音に、鶴唳に、おどかされおびやかされ、一生涯、滑稽な罪悪感と闘いつづけて行かなければなるまい。高野さちよは、美貌でなかった。けれども、男は、熱狂した。精神の女人を、宗教でさえある女人をも、肉体から制御し得る、という悪魔の囁きは、しばしば男を白痴にする。

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