無料公開作品


太宰治「火の鳥」17

なんでも知っている。「不愉快な野郎だ。よし、相手になってやる。僕は、君みたいな奴は、感覚的に憎悪する。宿命的に反撥する。しかし、最後に聞くが、君は、さちよを、どうするつもりだ。」煙草の火は消えていた。消えているその煙草を、すぱすぱ吸って、指はぶるぶる震えていた。
「どうするも、こうするも無いよ。」こんどは、助七のほうが、かえって落ちついた。「いまに居どころをつきとめて、おれは、おれの仕方で大事にするんだ。いいかい。あの女は、おれでなければ、だめなんだ。おれひとりだけが知っている。おめえは山の宿で、たった一晩、それだけを手がら顔に、きゃあきゃあ言っていやがる。あとは、もう、おめえなんかに鼻もひっかけないだろう。あいつは、そんな女だ。」
 三木は思わず首肯いた。まさに、そのとおりだったのである。
「だが、おい。」助七は、さらに勢よく一歩踏み出し、「その一晩だって、おめえには、ゆるさぬ。がまんできない。よくも、よくも。」
「そうか、わかった。相手になる。僕も君には、がまんできない。よくよく思いあがった野郎だ。」煙草をぽんとほうって、二重まわしを脱ぎ、さらに羽織を脱ぎ、ちょっと思案してから兵古帯をぐるぐるほどき、着物まですっぽり脱いで、シャツと猿又だけの姿になり、
「女を肉体でしか考えることができないとは、気の毒なものさ。こちらにまで、その薄汚さの臭いが移ら。君なんかと取組んで着物をよごしたら、洗っても洗ってもしみがとれまい。やっかいなことだ。」言いながら、足袋を脱ぎ、高足駄を脱ぎ捨て、さいごに眼鏡をはずし、「来い!」
 ぴしゃあんと雪の原、木霊して、右の頬を殴られたのは、助七であった。間髪を入れず、ぴしゃあんと、ふたたび、こんどは左。助七は、よろめいた。意外の強襲であった。うむ、とふんばって、腰を落し、両腕をひろげて身構えた。取組めば、こっちのものだと、助七にはまだ、自信があった。
「なんだい、それあ。田舎の草角力じゃねえんだぞ。」三木は、そう言い、雪を蹴ってぱっと助七の左腹にまわり、ぐゎんと一突き助七の顎に当てた。けれども、それは失敗であった。助七は三木のそのこぶしを素早くつかまえ、とっさに背負投、あざやかにきまった。三木の軽いからだは、雪空に一回転して、どさんと落下した。
「ちきしょう。味なことを。」三木は、尻餅つきながらも、力一ぱい助七の下腹部を蹴上げた。
「うっ。

目次 次へ

作品一覧に戻る

無断転載・転用禁止
太宰治の歩み