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太宰治「姥捨」14
愛をさえ犠牲にしなければならぬ。なんだ、あたりまえのことじゃないか。世間の人は、みんなそうして生きている。あたりまえに生きるのだ。生きてゆくには、それよりほかに仕方がない。おれは、天才でない。気ちがいじゃない。
ひるすこし過ぎまで、かず枝は、たっぷり眠った。そのあいだに、嘉七は、よろめきながらも自分の濡れた着物を脱いで、かわかし、また、かず枝の下駄を捜しまわったり、薬品の空箱を土に埋めたり、かず枝の着物の泥をハンケチで拭きとったり、その他たくさんの仕事をした。
かず枝は、めをさまして、嘉七から昨夜のことをいろいろ聞かされ、
「とうさん、すみません。」と言って、ぴょこんと頭をさげた。嘉七は、笑った。
嘉七のほうは、もう歩けるようになっていたが、かず枝は、だめであった。しばらく、ふたりは坐ったまま、きょうこれからのことを相談し合った。お金は、まだ拾円ちかくのこっていた。嘉七は、ふたり一緒に東京へかえることを主張したが、かず枝は、着物もひどく汚れているし、とてもこのままでは汽車に乗れない、と言い、結局、かず枝は、また自動車で谷川温泉へかえり、おばさんに、よその温泉場で散歩して転んで、着物を汚したとか、なんとか下手な嘘を言って、嘉七が東京にさきにかえって着換えの着物とお金を持ってまた迎えに来るまで、宿で静養している、ということに手筈がきまった。嘉七の着物がかわいたので、嘉七はひとり杉林から脱けて、水上のまちに出て、せんべいとキャラメルと、サイダーを買い、また山に引きかえして来て、かず枝と一緒にたべた。かず枝は、サイダーを一口のんで吐いた。
暗くなるまで、ふたりでいた。かず枝が、やっとどうにか歩けるようになって、ふたりこっそり杉林を出た。かず枝を自動車に乗せて谷川にやってから、嘉七は、ひとりで汽車で東京に帰った。
あとは、かず枝の叔父に事情を打ち明けて一切をたのんだ。無口な叔父は、
「残念だなあ。」
といかにも、残念そうにしていた。
叔父がかず枝を連れてかえって、叔父の家に引きとり、
「かず枝のやつ、宿の娘みたいに、夜寝るときは、亭主とおかみの間に蒲団ひかせて、のんびり寝ていた。おかしなやつだね。」と言って、首をちぢめて笑った。他には、何も言わなかった。
この叔父は、いいひとだった。嘉七がはっきりかず枝とわかれてからも、嘉七と、
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