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太宰治「斜陽」59

支那間の寝椅子をお座敷の縁側ちかくに移して、お母さまのお顔が見えるように腰かけた。やすんでいらっしゃるお母さまのお顔は、ちっとも病人らしくなかった。眼は美しく澄んでいるし、お顔色も生き生きしていらっしゃる。毎朝、規則正しく起床なさって洗面所へいらして、それからお風呂場の三畳でご自分で髪を結って、身じまいをきちんとなさって、それからお床に帰って、お床にお坐りのままお食事をすまし、それからお床に寝たり起きたり、午前中はずっと新聞やご本を読んでいらして、熱の出るのは午後だけである。
「ああ、お母さまは、お元気なのだ。きっと、大丈夫なのだ」
 と私は、心の中で三宅さまのご診断を強く打ち消した。
 十月になって、そうして菊の花の咲く頃になれば、など考えているうちに私は、うとうとと、うたた寝をはじめた。現実には、私はいちども見た事の無い風景なのに、それでも夢では時々その風景を見て、ああ、またここへ来たと思うなじみの森の中の湖のほとりに私は出た。私は、和服の青年と足音も無く一緒に歩いていた。風景全体が、みどり色の霧のかかっているような感じであった。そうして、湖の底に白いきゃしゃな橋が沈んでいた。
「ああ、橋が沈んでいる。きょうは、どこへも行けない。ここのホテルでやすみましょう。たしか、空いた部屋があった筈だ」
 湖のほとりに、石のホテルがあった。そのホテルの石は、みどり色の霧でしっとり濡れていた。石の門の上に、金文字でほそく、HOTEL SWITZERLAND と彫り込まれていた。SWI と読んでいるうちに、不意に、お母さまの事を思い出した。お母さまは、どうなさるのだろう。お母さまも、このホテルへいらっしゃるのかしら? と不審になった。そうして、青年と一緒に石の門をくぐり、前庭へはいった。霧の庭に、アジサイに似た赤い大きい花が燃えるように咲いていた。子供の頃、お蒲団の模様に、真赤なアジサイの花が散らされてあるのを見て、へんに悲しかったが、やっぱり赤いアジサイの花って本当にあるものなんだと思った。
「寒くない?」
「ええ、少し。霧でお耳が濡れて、お耳の裏が冷たい」
 と言って笑いながら、
「お母さまは、どうなさるのかしら」
 とたずねた。
 すると、青年は、とても悲しく慈愛深く微笑んで、
「あのお方は、お墓の下です」
 と答えた。
「あ」
 と私は小さく叫んだ。そうだったのだ。

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