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太宰治「斜陽」51

あの方にはたくさんの収入があるらしいし、あんな方と結婚したら、そりゃいいと思うわ。だけど、ダメなの」
 お母さまは、お笑いになって、
「かず子は、いけない子ね。そんなに、ダメでいながら、こないだあの方と、ゆっくり何かとたのしそうにお話をしていたでしょう。あなたの気持が、わからない」
「あら、だって、面白かったんですもの。もっと、いろいろ話をしてみたかったわ。私、たしなみが無いのね」
「いいえ、べったりしているのよ。かず子べったり」
 お母さまは、きょうは、とてもお元気。
 そうして、きのうはじめてアップにした私の髪をごらんになって、
「アップはね、髪の毛の少いひとがするといいのよ。あなたのアップは立派すぎて、金の小さい冠でも載せてみたいくらい。失敗ね」
「かず子がっかり。だって、お母さまはいつだったか、かず子は頸すじが白くて綺麗だから、なるべく頸すじを隠さないように、っておっしゃったじゃないの」
「そんな事だけは、覚えているのね」
「少しでもほめられた事は、一生わすれません。覚えていたほうが、たのしいもの」
「こないだ、あの方からも、何かとほめられたのでしょう」
「そうよ。それで、べったりになっちゃったの。私と一緒にいると霊感が、ああ、たまらない。私、芸術家はきらいじゃないんですけど、あんな、人格者みたいに、もったいぶってるひとは、とても、ダメなの」
「直治の師匠さんは、どんなひとなの?」
 私は、ひやりとしました。
「よくわからないけど、どうせ直治の師匠さんですもの、札つきの不良らしいわ」
「札つき?」
 と、お母さまは、楽しそうな眼つきをなさって呟き、
「面白い言葉ね。札つきなら、かえって安全でいいじゃないの。鈴を首にさげている子猫みたいで可愛らしいくらい。札のついていない不良が、こわいんです」
「そうかしら」
 うれしくて、うれしくて、すうっとからだが煙になって空に吸われて行くような気持でした。おわかりになります? なぜ、私が、うれしかったか。おわかりにならなかったら、……殴るわよ。
 いちど、本当に、こちらへ遊びにいらっしゃいません? 私から直治に、あなたをお連れして来るように、って言いつけるのも、何だか不自然で、へんですから、あなたご自身の酔興から、ふっとここへ立寄ったという形にして、直治の案内でおいでになってもいいけれども、でも、なるべくならおひとりで、

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