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太宰治「斜陽」52
そうして直治が東京に出張した留守においでになって下さい。直治がいると、あなたを直治にとられてしまって、きっとあなたたちは、お咲さんのところへ焼酎なんかを飲みに出かけて行って、それっきりになるにきまっていますから。私の家では、先祖代々、芸術家を好きだったようです。光琳という画家も、むかし私どもの京都のお家に永く滞在して、襖に綺麗な絵をかいて下さったのです。だから、お母さまも、あなたの御来訪を、きっと喜んで下さると思います。あなたは、たぶん、二階の洋間におやすみという事になるでしょう。お忘れなく電燈を消して置いて下さい。私は小さい蝋燭を片手に持って、暗い階段をのぼって行って、それは、だめ? 早すぎるわね。
私、不良が好きなの。それも、札つきの不良が、すきなの。そうして私も、札つきの不良になりたいの。そうするよりほかに、私の生きかたが、無いような気がするの。あなたは、日本で一ばんの、札つきの不良でしょう。そうして、このごろはまた、たくさんのひとが、あなたを、きたならしい、けがらわしい、と言って、ひどく憎んで攻撃しているとか、弟から聞いて、いよいよあなたを好きになりました。あなたの事ですから、きっといろいろのアミをお持ちでしょうけれども、いまにだんだん私ひとりをすきにおなりでしょう。なぜだか、私には、そう思われて仕方が無いんです。そうして、あなたは私と一緒に暮して、毎日、たのしくお仕事が出来るでしょう。小さい時から私は、よく人から、「あなたと一緒にいると苦労を忘れる」と言われて来ました。私はいままで、人からきらわれた経験が無いんです。みんなが私を、いい子だと言って下さいました。だから、あなたも、私をおきらいの筈は、けっしてないと思うのです。
逢えばいいのです。もう、いまは御返事も何も要りません。お逢いしとうございます。私のほうから、東京のあなたのお宅へお伺いすれば一ばん簡単におめにかかれるのでしょうけれど、お母さまが、何せ半病人のようで、私は附きっきりの看護婦兼お女中さんなのですから、どうしてもそれが出来ません。おねがいでございます。どうか、こちらへいらして下さい。ひとめお逢いしたいのです。そうして、すべては、お逢いすれば、わかること。私の口の両側に出来た幽かな皺を見て下さい。世紀の悲しみの皺を見て下さい。私のどんな言葉より、私の顔が、
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