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太宰治「斜陽」50
世間からもひどい悪漢のように噂をされていながら、本当は、常識家なんでしょう。私には、常識という事が、わからないんです。すきな事が出来さえすれば、それはいい生活だと思います。私は、あなたの赤ちゃんを生みたいのです。他のひとの赤ちゃんは、どんな事があっても、生みたくないんです。それで、私は、あなたに相談をしているのです。おわかりになりましたら、御返事を下さい。あなたのお気持を、はっきり、お知らせ下さい。
雨があがって、風が吹き出しました。いま午後三時です。これから、一級酒(六合)の配給を貰いに行きます。ラム酒の瓶を二本、袋にいれて、胸のポケットに、この手紙をいれて、もう十分ばかりしたら、下の村に出かけます。このお酒は、弟に飲ませません。かず子が飲みます。毎晩、コップで一ぱいずついただきます。お酒は、本当は、コップで飲むものですわね。
こちらに、いらっしゃいません?
M・C様
きょうも雨降りになりました。目に見えないような霧雨が降っているのです。毎日々々、外出もしないで御返事をお待ちしているのに、とうとうきょうまでおたよりがございませんでした。いったいあなたは、何をお考えになっているのでしょう。こないだの手紙で、あの大師匠さんの事など書いたのが、いけなかったのかしら。こんな縁談なんかを書いて、競争心をかき立てようとしていやがる、とでもお思いになったのでしょうか。でも、あの縁談は、もうあれっきりだったのです。さっきも、お母さまと、その話をして笑いました。お母さまは、こないだ舌の先が痛いとおっしゃって、直治にすすめられて、美学療法をして、その療法に依って、舌の痛みもとれて、この頃はちょっとお元気なのです。
さっき私がお縁側に立って、渦を巻きつつ吹かれて行く霧雨を眺めながら、あなたのお気持の事を考えていましたら、
「ミルクを沸したから、いらっしゃい」
とお母さまが食堂のほうからお呼びになりました。
「寒いから、うんと熱くしてみたの」
私たちは、食堂で湯気の立っている熱いミルクをいただきながら、先日の師匠さんの事を話合いました。
「あの方と、私とは、どだい何も似合いませんでしょう?」
お母さまは平気で、
「似合わない」
とおっしゃいました。
「私、こんなにわがままだし、それに芸術家というものをきらいじゃないし、おまけに、
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