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太宰治「斜陽」49

私は、「かもめ」のニーナのように、作家に恋しているのではありません。私は、小説家などにあこがれてはいないのです。文学少女、などとお思いになったら、こちらも、まごつきます。私は、あなたの赤ちゃんがほしいのです。
 もっとずっと前に、あなたがまだおひとりの時、そうして私もまだ山木へ行かない時に、お逢いして、二人が結婚していたら、私もいまみたいに苦しまずにすんだのかも知れませんが、私はもうあなたとの結婚は出来ないものとあきらめています。あなたの奥さまを押しのけるなど、それはあさましい暴力みたいで、私はいやなんです。私は、おメカケ、(この言葉、言いたくなくて、たまらないのですけど、でも、愛人、と言ってみたところで、俗に言えば、おメカケに違いないのですから、はっきり、言うわ)それだって、かまわないんです。でも、世間普通のお妾の生活って、むずかしいものらしいのね。人の話では、お妾は普通、用が無くなると、捨てられるものですって。六十ちかくなると、どんな男のかたでも、みんな、本妻の所へお戻りになるんですって。ですから、お妾にだけはなるものじゃないって、西片町のじいやと乳母が話合っているのを、聞いた事があるんです。でも、それは、世間普通のお妾のことで、私たちの場合は、ちがうような気がします。あなたにとって、一番、大事なのは、やはり、あなたのお仕事だと思います。そうして、あなたが、私をおすきだったら、二人が仲よくする事が、お仕事のためにもいいでしょう。すると、あなたの奥さまも、私たちの事を納得して下さいます。へんな、こじつけの理窟みたいだけど、でも、私の考えは、どこも間違っていないと思うわ。
 問題は、あなたの御返事だけです。私を、すきなのか、きらいなのか、それとも、なんともないのか、その御返事、とてもおそろしいのだけれども、でも、伺わなければなりません。こないだの手紙にも、私、押しかけ愛人、と書き、また、この手紙にも、中年の女の押しかけ、などと書きましたが、いまよく考えてみましたら、あなたからの御返事が無ければ、私、押しかけようにも、何も、手がかりが無く、ひとりでぼんやり痩せて行くだけでしょう。やはりあなたの何かお言葉が無ければ、ダメだったんです。
 いまふっと思った事でございますが、あなたは、小説ではずいぶん恋の冒険みたいな事をお書きになり、

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