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太宰治「斜陽」23

少しでも語りたいと思うのは、ざっとこれくらいの事で、あとはもう、いつかのあの詩のように、

昨年は、何も無かった。
一昨年は、何も無かった。
その前のとしも、何も無かった。

 とでも言いたいくらいで、ただ、ばかばかしく、わが身に残っているものは、この地下足袋いっそく、というはかなさである。
 地下足袋の事から、ついむだ話をはじめて脱線しちゃったけれど、私は、この、戦争の唯一の記念品とでもいうべき地下足袋をはいて、毎日のように畑に出て、胸の奥のひそかな不安や焦躁をまぎらしているのだけれども、お母さまは、この頃、目立って日に日にお弱りになっていらっしゃるように見える。
 蛇の卵。
 火事。
 あの頃から、どうもお母さまは、めっきり御病人くさくおなりになった。そうして私のほうでは、その反対に、だんだん粗野な下品な女になって行くような気もする。なんだかどうも私が、お母さまからどんどん生気を吸いとって太って行くような心地がしてならない。
 火事の時だって、お母さまは、燃やすための薪だもの、と御冗談を言って、それっきり火事のことに就いては一言もおっしゃらず、かえって私をいたわるようにしていらしたが、しかし、内心お母さまの受けられたショックは、私の十倍も強かったのに違いない。あの火事があってから、お母さまは、夜中に時たま呻かれる事があるし、また、風の強い夜などは、お手洗いにおいでになる振りをして、深夜いくどもお床から脱けて家中をお見廻りになるのである。そうしてお顔色はいつも冴えず、お歩きになるのさえやっとのように見える日もある。畑も手伝いたいと、前はおっしゃっていたが、いちど私が、およしなさいと申し上げたのに、井戸から大きい手桶で畑に水を五、六ぱいお運びになり、翌日、いきの出来ないくらいに肩がこる、とおっしゃって一日、寝たきりで、そんな事があってからは流石に畑仕事はあきらめた御様子で、時たま畑へ出て来られても、私の働き振りを、ただ、じっと見ていらっしゃるだけである。
「夏の花が好きなひとは、夏に死ぬっていうけれども、本当かしら」
 きょうもお母さまは、私の畑仕事をじっと見ていらして、ふいとそんな事をおっしゃった。私は黙っておナスに水をやっていた。ああ、そういえば、もう初夏だ。
「私は、ねむの花が好きなんだけれども、ここのお庭には、一本も無いのね」
 と、お母さまは、また、

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