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太宰治「ダス・ゲマイネ」18
本郷のまちの屋根屋根は雨でけむっていた。
ひるごろ、佐竹が来た。レンコオトも帽子もなく、天鵞絨《ビロード》のズボンに水色の毛糸のジャケツを着けたきりで、顔は雨に濡れて、月のように青く光った不思議な頬の色であった。夜光虫は私たちに一言の挨拶もせず、溶けて崩れるようにへたへたと部屋の隅に寝そべった。
「かんにんして呉れよ。僕は疲れているんだ」
すぐつづいて太宰が障子をあけてのっそりあらわれた。ひとめ見て、私はあわてふためいて眼をそらした。これはいけないと思った。彼の風貌は、馬場の形容を基にして私が描いて置いた好悪ふたつの影像のうち、わるいほうの影像と一分一厘の間隙もなくぴったり重なり合った。そうして尚さらいけないことには、そのときの太宰の服装がそっくり、馬場のかねがね最もいみきらっているたちのものだったではないか。派手な大島絣の袷に総絞りの兵古帯、荒い格子縞のハンチング、浅黄の羽二重の長襦袢の裾がちらちらこぼれて見えて、その裾をちょっとつまみあげて坐ったものであるが、窓のそとの景色を、形だけ眺めたふりをして、
「ちまたに雨が降る」と女のような細い甲高い声で言って、私たちのほうを振りむき赤濁りに濁った眼を糸のように細くし顔じゅうをくしゃくしゃにして笑ってみせた。私は部屋から飛び出してお茶を取りに階下へ降りた。お茶道具と鉄瓶とを持って部屋へかえって来たら、もうすでに馬場と太宰が争っていたのである。
太宰は坊主頭のうしろへ両手を組んで、「言葉はどうでもよいのです。いったいやる気なのかね?」
「何をです」
「雑誌をさ。やるなら一緒にやってもいい」
「あなたは一体、何しにここへ来たのだろう」
「さあ、――風に吹かれて」
「言って置くけれども、御託宣と、警句と、冗談と、それから、そのにやにや笑いだけはよしにしましょう」
「それじゃ、君に聞くが、君はなんだって僕を呼んだのだ」
「おめえはいつでも呼べば必ず来るのかね?」
「まあ、そうだ。そうしなければいけないと自分に言い聞かせてあるのです」
「人間のなりわいの義務。それが第一。そうですね?」
「ご勝手に」
「おや、あなたは妙な言葉を体得していますね。ふてくされ。ああ、ごめんだ。あなたと仲間になるなんて! とこう言い切るとあなたのほうじゃ、すぐもうこっちをポンチにしているのだからな。かなわんよ」
「それは、
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