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太宰治「おしゃれ童子」5

うちにはございませぬが、横丁まがると消防のもの専門の家がありますから、そこへ行ってお聞きになると、ひょっとしたら、わかるかも知れません、といいこと教えられ、なるほど消防とは気がつかなかった、鳶の者と言えば、火消しのことで、いまで言えば消防だ、なるほど道理だ、と勢い附いて、その教えられた横丁の店に飛び込みました。店には大小の消火ポンプが並べられてありました。纏もあります。なんだか心細くなって、それでも勇気を鼓舞して、股引ありますか、と尋ねたら、あります、と即座に答えて持って来たものは、紺の木綿の股引には、ちがい無いけれども、股引の両外側に太く消防のしるしの赤線が縦にずんと引かれていました。流石にそれをはいて歩く勇気も無く、少年は淋しく股引をあきらめるより他なかったのです。
 おのれの服装が理想どおりにならないと、きっと、やけくそになる悪癖を、この少年は持っていました。希望どおり紺の股引を求めることが、できなくなって、少年の小粋の服装も目立って、いけなくなりました。紺の腹掛、唐桟の単衣に角帯、麻裏草履、そのような服装をしていながら、白線の制帽をかぶって、まちを歩いたのは、一たい、どういう美学が教えた業でしょう。そんな異様の風俗のものは、どんな芝居にだって出て来ません。たしかに少年は、やけくそになっているとしか思えません。カシミヤの白手袋を、再び用いました。唐桟、角帯、紺の腹掛、白線の制帽、白手袋、もはや収拾つかないごたごたの満艦飾です。そんな不思議な時代が、人間一生のあいだに、一時は在るものではないでしょうか。なんだか、まるで夢中なのです。持ち物全部を身につけなければ、気がすまぬのです。カシミヤの白手袋が破れて、新しいのを買おうとしても、カシミヤのは、仲々無いので、しまいには、生地は、なんであっても白手袋でさえあればという意味で、軍手になりました。兵隊さんの厚ぼったい熊の掌のように大きい白手袋であります。なにもかも、滅茶滅茶でした。少年は、そのような異様の風態で、割烹店へ行き、泉鏡花氏の小説で習い覚えた地口を、一生懸命に、何度も繰りかえして言っていました。女など眼中になかったのです。ただ、おのれのロマンチックな姿態だけが、問題であったのです。
 やがて夢から覚めました。左翼思想が、そのころの学生を興奮させ、学生たちの顔が颯っと蒼白になるほど緊張していました。

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太宰治の歩み