無料公開作品


太宰治「メリイクリスマス」2


 吉だ。
「出よう、出よう。それとも何か、買いたい雑誌でもあるの?」
「いいえ。アリエルというご本を買いに来たのだけれども、もう、いいわ。」
 私たちは、師走ちかい東京の街に出た。
「大きくなったね。わからなかった。」
 やっぱり東京だ。こんな事もある。
 私は露店から一袋十円の南京豆を二袋買い、財布をしまって、少し考え、また財布を出して、もう一袋買った。むかし私はこの子のために、いつも何やらお土産を買って、そうして、この子の母のところへ遊びに行ったものだ。
 母は、私と同じとしであった。そうして、そのひとは、私の思い出の女のひとの中で、いまだしぬけに逢っても、私が恐怖困惑せずにすむ極めて稀な、いやいや、唯一、と言ってもいいくらいのひとであった。それは、なぜであろうか。いま仮りに四つの答案を提出してみる。そのひとは所謂貴族の生れで、美貌で病身で、と言ってみたところで、そんな条件は、ただキザでうるさいばかりで、れいの「唯一のひと」の資格にはなり得ない。大金持ちの夫と別れて、おちぶれて、わずかの財産で娘と二人でアパート住いして、と説明してみても、私は女の身の上話には少しも興味を持てないほうで、げんにその大金持ちの夫と別れたのはどんな理由からであるか、わずかの財産とはどんなものだか、まるで何もわかってやしないのだ。聞いても忘れてしまうのだろう。あんまり女に、からかわれつづけて来たせいか、女からどんな哀れな身の上話を聞かされても、みんないい加減の嘘のような気がして、一滴の涙も流せなくなっているのだ。つまり私はそのひとが、生れがいいとか、美人だとか、しだいに落ちぶれて可哀そうだとか、そんな謂わばロオマンチックな条件に依って、れいの「唯一のひと」として択び挙げていたわけでは無かった。答案は次の四つに尽きる。第一には、綺麗好きな事である。外出から帰ると必ず玄関で手と足とを洗う。落ちぶれたと言っても、さすがに、きちんとした二部屋のアパートにいたが、いつも隅々まで拭き掃除が行きとどき、殊にも台所の器具は清潔であった。第二には、そのひとは少しも私に惚れていない事であった。そうして私もまた、少しもそのひとに惚れていないのである。性慾に就いての、あのどぎまぎした、いやらしくめんどうな、思いやりだか自惚れだか、気を引いてみるとか、ひとり角力とか、

目次 次へ

作品一覧に戻る

無断転載・転用禁止
太宰治の歩み