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太宰治「火の鳥」21

あたしは、どんな男の人でも、尊敬している。」
 数枝は、流石に気まずくなった。われにも無く、むりにしんみりした口調で、
「わかいからねえ。」言ってしまって、いよいよいけないと思った。どうにも、自分が、ぶざまである。閉口して、とうとうやけに、屹っとなってしまって、「ばかなこと、お言いでないよ。ギャングだの、低脳記者だの、ろくなものありゃしない。さちよを、ちっとでも仕合せにして呉れた男が、ひとりだって、無いやないか。それを、尊敬しています、なんて、きざなこと。」
「それは、少しちがうね。」こんどは、さちよは、おどけた口調にかえって、「男にしなだれかかって仕合せにしてもらおうと思っているのが、そもそも間違いなんです。虫が、よすぎるわよ。男には、別に、男の仕事というものがあるのでございますから、その一生の事業を尊敬しなければいけません。わかりまして?」
 数枝は、不愉快で、だまっていた。
 さちよは調子に乗って、
「女ひとりの仕合せのために、男の人を利用するなんて、もったいないわ。女だって、弱いけれど、男は、もっと弱いのよ。やっとのところで踏みとどまって、どうにか努力をつづけているのよ。あたしには、そう思われて仕方がない。そんなところに、女のひとが、どさんと重いからだを寄りかからせたら、どんな男の人だって、当惑するわ。気の毒よ。」
 数枝は、呆れて、蛮声を発した。
「白虎隊は、ちがうね。」さちよの祖父が白虎隊のひとりだったことを数枝は、さちよから聞かされて知っていた。
「そんなんじゃないのよ。」さちよは、暗闇の中で、とてもやさしく微笑んだ。「あたし、巴御前じゃない。薙刀もって奮戦するなんて、いやなこった。」
「似合うよ。」
「だめ。あたし、ちびだから、薙刀に負けちゃう。」
 ふふ、と数枝は笑った。数枝の気嫌が直ったらしいので、さちよは嬉しく、
「ねえ。あたしの言うこと、もすこしだまって聞いていて呉れない? ご参考までに。」
「いうことが、いちいち、きざだな。歴史的氏の悪影響です。」数枝は、気をよくしていた。
「あたしは、ね、歴史的さんでも、助七でも、それから、ほかのひとでも、みんな好きよ。わるい人なんて、あたしは、見たことがない。お母さんでも、お父さんでも、みんな、やさしくいいひとだった。伯父さんでも、伯母さんでも、ずいぶん偉いわ。とても、頭があがらない。はじめから、

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