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太宰治「俗天使 」5
そのときは恥辱にさえ思っていたのであったが、いまは、その記憶だけでも大事にしなければならぬのではないか、という頗るぱっとしない卑屈な反省に依って、私は、それらの貧しい女性たちに、「陋巷のマリヤ」という冠を、多少閉口しながら、やぶれかぶれで捧げている現状なのである。かのミケランジェロのマリヤが、この様を見下して、怒り給うこと無く、微笑してくれたら、さいわいである。
私は、肉親以外の女の人からは、金銭を貰ったことは、いちども無いが、十年まえに、或る種類のめいわくを掛けたことがある。十年まえと言えば、二十一である。銀座のバアへはいったのであるが、私の財布には五円紙幣一枚と、電車切符しか無かった。大阪言葉の女給である。上品な人である。私は、その人に五円しか無いことを言って、なるべくお酒をゆっくり持って来てくれるように、まじめにたのんだ。女の人も笑わずに、承知してくれた。一本呑むと酔って来て、つぎの一本を大至急たのんだ。女の人は、さからわず、はいはいと言って持って来た。ずいぶん呑んでしまった。お勘定は、十三円あまりであった。いまでも、その金高は、ちゃんと覚えている。私が、もそもそしたら、女の人は、ええわ、ええわ、と言って私の背中をぐんぐん押して外へ出してしまった。それっきりであった。私の態度がよかったからであろうと思い、私は、それ以上の浮いた気持は感じなかった。二、三年、あるいは四、五年、そこは、はっきりしないけれども、とにかく、よっぽど後になって、ふらとそのバアへ立ち寄ったことがある。南無三、あの女給が、まだいたのである。やはり上品に、立ち働いていた。私のテエブルにも、つい寄って、にこにこ笑いながら、どなただったかなあ、忘れたなあ、と言い、そのまま他のテエブルのほうへ行ってしまった。私は卑屈で、しかも吝嗇であるから、こちらから名乗ってお礼を言う勇気もなく、お酒を一本呑んで、さっさと引き上げた。
もう、種が無くなった。あとは、捏造するばかりである。何も、もう、思い出が無いのである。語ろうとすれば、捏造するより他はない。だんだん、みじめになって来る。
ひとつ、手紙でも書いて見よう。
「おじさん。サビガリさん。サビシガリさんでも無ければ、サムガリさんでも無いの。サビガリさんが、よく似合う。いつも、小説ばっかり書いているおじさん。けさほどは、お葉書ありがとう。
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