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太宰治「姥捨」10

ものの感じかたをこそ、倨傲というのではなかろうか。そんなら、おれの考えかたは、みなだめだ。おれの、これまでの生きかたは、みなだめだ。むりもないことだ、なぞと理解せず、なぜ単純に憎むことができないのか。そんな嫉妬こそ、つつましく、美しいじゃないか。重ねて四つ、という憤怒こそ、高く素直なものではないか。細君にそむかれて、その打撃のためにのみ死んでゆく姿こそ、清純の悲しみではないか。けれども、おれは、なんだ。みれんだの、いい子だの、ほとけづらだの、道徳だの、借銭だの、責任だの、お世話になっただの、アンチテエゼだの、歴史的義務だの、肉親だの、ああいけない。
 嘉七は、棍棒ふりまわして、自分の頭をぐしゃと叩きつぶしたく思うのだ。
「ひと寝いりしてから、出発だ。決行、決行。」
 嘉七は、自分の蒲団をどたばたひいて、それにもぐった。
 よほど酔っていたので、どうにか眠れた。ぼんやり眼がさめたのは、ひる少し過ぎで、嘉七は、わびしさに堪えられなかった。はね起きて、すぐまた、寒い寒いを言いながら、下のひとに、お酒をたのんだ。
「さあ、もう起きるのだよ。出発だ。」
 かず枝は、口を小さくあけて眠っていた。きょとんと眼をひらいて、
「あ、もう、そんな時間になったの?」
「いや、おひるすこしすぎただけだが、私はもう、かなわん。」
 なにも考えたくなかった。はやく死にたかった。
 それから、はやかった。このへんの温泉をついでにまわってみたいからと、かず枝に言わせて、宿を立った。空もからりと晴れていたし、私たちはぶらぶら歩いて途中のけしきを見ながら山を下りるから、と自動車をことわり、一丁ほど歩いて、ふと振りむくと、宿の老妻が、ずっとうしろを走って追いかけて来ていた。
「おい、おばさんが来たよ。」嘉七は不安であった。
「これ、なあ、」老妻は、顔をあからめて、嘉七に紙包を差し出し、「真綿だよ。うちで紡いで、こしらえた。何もないのでな。」
「ありがとう。」と嘉七。
「おばさん、ま、そんな心配して。」とかず枝。何か、ふたり、ほっとしていた。
 嘉七は、さっさと歩きだした。
「おだいじに、行きなよ。」
「おばさんもお達者で。」うしろでは、まだ挨拶していた。嘉七はくるり廻れ右して、
「おばさん、握手。」
 手をつよく握られて老妻の顔には、気まり悪さと、それから恐怖の色まであらわれていた。
「酔ってるのよ。

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