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太宰治「花吹雪」8
ほとんど事実そのままと断じても大過ないかと思われる。私は、おのれの意気地の無い日常をかえりみて、つくづく恥ずかしく淋しく思った。かなわぬまでも、やってみたらどうだ。お前にも憎い敵が二人や三人あった筈ではないか。しかるに、お前はいつも泣き寝入りだ。敢然とやったらどうだ。右の頬を打たれたなら左の頬を、というのは、あれは勝ち得べき腕力を持っていても忍んで左の頬を差出せ、という意味のようでもあるが、お前の場合は、まるで、へどもどして、どうか右も左も思うぞんぶん、えへへ、それでお気がすみます事ならどうか、あ、いてえ、痛え、と財布だけは、しっかり握って、左右の頬をさんざん殴らせているような図と似ているではないか。そうして、ひとりで、ぶつぶつ言いながら泣き寝入りだ。キリストだって、いざという時には、やったのだ。「われ地に平和を投ぜんために来れりと思うな、平和にあらず、反って剣を投ぜん為に来れり。」とさえ言っているではないか。あるいは剣術の心得のあった人かも知れない。怒った時には、縄切を振りまわしてエルサレムの宮の商人たちを打擲したほどの人である。決して、色白の、やさ男ではない。やさ男どころか、或る神学者の説に依ると、筋骨たくましく堂々たる偉丈夫だったそうではないか。虫も殺さぬ大慈大悲のお釈迦さまだって、そのお若い頃、耶輸陀羅姫という美しいお姫さまをお妃に迎えたいばかりに、恋敵の五百人の若者たちと武技をきそい、誰も引く事の出来ない剛弓で、七本の多羅樹と鉄の猪を射貫き、めでたく耶輸陀羅姫をお妃にお迎えなさったとかいう事も聞いている。七本の多羅樹と鉄の猪を射透すとは、まことに驚くべきお力である。まったく、それだからこそ、弟子たちも心服したのだ。腕力の強い奴には、どこやら落ちつきがある。と黄村先生もおっしゃった。その落ちつきが、世の人に思慕の心を起させるのだ。源氏が今でも人気があるのは、源氏の人たちが武術に於いて、ずば抜けて強かったからである。頼光をはじめ、鎮西八郎、悪源太義平などの武勇に就いては知らぬ人も無いだろうが、あの、八幡太郎義家でも、その風流、人徳、兵法に於いて優れていたばかりでなく、やはり男一匹として腕に覚えがあったから、弓馬の神としてあがめられているのである。弓は天才的であったようだ。矢継早の名人で、機関銃のように数百本の矢をまたたく間にひゅうひゅうと敵陣に射込み、
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