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太宰治「愛と美について」4
一ばんロマンチックな種属は老人である、ということがわかったの。老婆は、だめ。おじいさんで無くちゃ、だめ。おじいさんが、こう、縁側にじっとして坐っていると、もう、それだけで、ロマンチックじゃないの。素晴らしいわ。」
「老人か。」長兄は、ちょっと考える振りをして、「よし、それにしよう。なるべく、甘い愛情ゆたかな、綺麗な物語がいいな。こないだのガリヴァ後日物語は、少し陰惨すぎた。僕は、このごろまた、ブランドを読み返しているのだが、どうも肩が凝る。むずかしすぎる。」率直に白状してしまった。
「僕にやらせて下さい。僕に、」ろくろく考えもせず、すぐに大声あげて名乗り出たのは末弟である。がぶがぶ大コップの果汁を飲んで、やおら御意見開陳。「僕は、僕は、こう思いますねえ。」いやに、老成ぶった口調だったので、みんな苦笑した。次兄も、れいのけッという怪しい笑声を発した。末弟は、ぶうっとふくれて、
「僕は、そのおじいさんは、きっと大数学者じゃないか、と思うのです。きっと、そうだ。偉い数学者なんだ。もちろん博士さ。世界的なんだ。いまは、数学が急激に、どんどん変っているときなんだ。過渡期が、はじまっている。世界大戦の終りごろ、一九二〇年ごろから今日まで、約十年の間にそれは、起りつつある。」きのう学校で聞いて来たばかりの講義をそのまま口真似してはじめるのだから、たまったものでない。「数学の歴史も、振りかえって見れば、いろいろ時代と共に変遷して来たことは確かです。まず、最初の階段は、微積分学の発見時代に相当する。それからがギリシャ伝来の数学に対する広い意味の近代的数学であります。こうして新しい領分が開けたわけですから、その開けた直後は高まるというよりも寧ろ広まる時代、拡張の時代です。それが十八世紀の数学であります。十九世紀に移るあたりに、矢張りかかる階段があります。すなわち、この時も急激に変った時代です。一人の代表者を選ぶならば、例えば Gauss. g、a、u、ssです。急激に、どんどん変化している時代を過渡期というならば、現代などは、まさに大過渡期であります。」てんで、物語にもなんにもなってやしない。それでも末弟は、得意である。調子が出て来た、と内心ほくほくしている。「やたらに煩瑣で、そうして定理ばかり氾濫して、いままでの数学は、完全に行きづまっている。一つの暗記物に堕してしまった。このとき、
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太宰治の歩み