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太宰治「斜陽」90

本質的な馬鹿なところがあります)それを連れて、山荘へ来たのは、けれども、まさかけさ死のうと思って、やって来たのではなかったのです。いつか、近いうちに必ず死ぬ気でいたのですが、でも、きのう、女を連れて山荘へ来たのは、女に旅行をせがまれ、僕も東京で遊ぶのに疲れて、この馬鹿な女と二、三日、山荘で休むのもわるくないと考え、姉さんには少し工合いが悪かったけど、とにかくここへ一緒にやって来てみたら、姉さんは東京のお友達のところへ出掛け、その時ふと、僕は死ぬなら今だ、と思ったのです。
 僕は昔から、西片町のあの家の奧の座敷で死にたいと思っていました。街路や原っぱで死んで、弥次馬たちに死骸をいじくり廻されるのは、何としても、いやだったんです。けれども、西片町のあの家は人手に渡り、いまではやはりこの山荘で死ぬよりほかは無かろうと思っていたのですが、でも、僕の自殺をさいしょに発見するのは姉さんで、そうして姉さんは、その時どんなに驚愕し恐怖するだろうと思えば、姉さんと二人きりの夜に自殺するのは気が重くて、とても出来そうも無かったのです。
 それが、まあ、何というチャンス。姉さんがいなくて、そのかわり、頗る鈍物のダンサアが、僕の自殺の発見者になってくれる。
 昨夜、ふたりでお酒を飲み、女のひとを二階の洋間に寝かせ、僕ひとりママの亡くなった下のお座敷に蒲団をひいて、そうして、このみじめな手記にとりかかりました。
 姉さん。
 僕には、希望の地盤が無いんです。さようなら。
 結局、僕の死は、自然死です。人は、思想だけでは、死ねるものでは無いんですから。
 それから、一つ、とてもてれくさいお願いがあります。ママのかたみの麻の着物。あれを姉さんが、直治が来年の夏に着るようにと縫い直して下さったでしょう。あの着物を、僕の棺にいれて下さい。僕、着たかったんです。
 夜が明けて来ました。永いこと苦労をおかけしました。
 さようなら。
 ゆうべのお酒の酔いは、すっかり醒めています。僕は、素面で死ぬんです。
 もういちど、さようなら。
 姉さん。
 僕は、貴族です。

     八

 ゆめ。
 皆が、私から離れて行く。
 直治の死のあと始末をして、それから一箇月間、私は冬の山荘にひとりで住んでいた。
 そうして私は、あのひとに、おそらくはこれが最後の手紙を、水のような気持で、書いて差し上げた。


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