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太宰治「斜陽」69

 二人ならんでお母さまの枕もとに坐ると、お母さまは、急にお蒲団の下から手をお出しになって、そうして、黙って直治のほうを指差し、それから私を指差し、それから叔父さまのほうへお顔をお向けになって、両方の掌をひたとお合せになった。
 叔父さまは、大きくうなずいて、
「ああ、わかりましたよ。わかりましたよ」
 とおっしゃった。
 お母さまは、ご安心なさったように、眼を軽くつぶって、手をお蒲団の中へそっとおいれになった。
 私も泣き、直治もうつむいて嗚咽した。
 そこへ、三宅さまの老先生が、長岡からいらして、取り敢えず注射した。お母さまも、叔父さまに逢えて、もう、心残りが無いとお思いになったか、
「先生、早く、楽にして下さいな」
 とおっしゃった。
 老先生と叔父さまは、顔を見合せて、黙って、そうしてお二人の眼に涙がきらと光った。
 私は立って食堂へ行き、叔父さまのお好きなキツネうどんをこしらえて、先生と直治と叔母さまと四人分、支那間へ持って行き、それから叔父さまのお土産の丸ノ内ホテルのサンドウィッチを、お母さまにお見せして、お母さまの枕元に置くと、
「忙しいでしょう」
 とお母さまは、小声でおっしゃった。
 支那間で皆さんがしばらく雑談をして、叔父さま叔母さまは、どうしても今夜、東京へ帰らなければならぬ用事があるとかで、私に見舞いのお金包を手渡し、三宅さまも看護婦さんと一緒にお帰りになる事になり、附添いの看護婦さんに、いろいろ手当の仕方を言いつけ、とにかくまだ意識はしっかりしているし、心臓のほうもそんなにまいっていないから、注射だけでも、もう四、五日は大丈夫だろうという事で、その日いったん皆さんが自動車で東京へ引き上げたのである。
 皆さんをお送りして、お座敷へ行くと、お母さまが、私にだけ笑う親しげな笑いかたをなさって、
「忙しかったでしょう」
 と、また、囁くような小さいお声でおっしゃった。そのお顔は、活き活きとして、むしろ輝いているように見えた。叔父さまにお逢い出来てうれしかったのだろう、と私は思った。
「いいえ」
 私もすこし浮き浮きした気分になって、にっこり笑った。
 そうして、これが、お母さまとの最後のお話であった。
 それから、三時間ばかりして、お母さまは亡くなったのだ。秋のしずかな黄昏、看護婦さんに脈をとられて、直治と私と、たった二人の肉親に見守られて、

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