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太宰治「斜陽」57
うららかな小春|日和がつづくようになると、きっとお母さまのお熱も下ってお丈夫になり、私もあのひとと逢えるようになって、私の計画も大輪の菊の花のように見事に咲き誇る事が出来るかも知れないのだ。ああ、早く十月になって、そうしてお母さまのお熱が下るとよい。
和田の叔父さまにお葉書を差し上げてから、一週間ばかりして、和田の叔父さまのお取計いで、以前侍医などしていらした三宅さまの老先生が看護婦さんを連れて東京から御診察にいらして下さった。
老先生は私どもの亡くなったお父上とも御交際のあった方なので、お母さまは、たいへんお喜びの御様子だった。それに、老先生は昔からお行儀が悪く、言葉|遣いもぞんざいで、それがまたお母さまのお気に召しているらしく、その日は御診察など、そっちのけで何かとお二人で打ち解けた世間話に興じていらっしゃった。私がお勝手で、プリンをこしらえて、それをお座敷に持って行ったら、もうその間に御診察もおすみの様子で、老先生は聴診器をだらしなく頸飾りみたいに肩にひっかけたまま、お座敷の廊下の籐椅子に腰をかけ、
「僕などもね、屋台にはいって、うどんの立食いでさ。うまいも、まずいもありゃしません」
と、のんきそうに世間話をつづけていらっしゃる。お母さまも、何気ない表情で天井を見ながら、そのお話を聞いていらっしゃる。なんでも無かったんだ、と私は、ほっとした。
「いかがでございました? この村の先生は、胸の左のほうに浸潤があるとかおっしゃっていましたけど?」
と私も急に元気が出て、三宅さまにおたずねしたら、老先生は、事もなげに、
「なに、大丈夫だ」
と軽くおっしゃる。
「まあ、よかったわね、お母さま」
と私は心から微笑して、お母さまに呼びかけ、
「大丈夫なんですって」
その時、三宅さまは籐椅子から、つと立ち上って支那間のほうへいらっしゃった。何か私に用事がありげに見えたので、私はそっとその後を追った。
老先生は支那間の壁掛の蔭に行って立ちどまって、
「バリバリ音が聞えているぞ」
とおっしゃった。
「浸潤では、ございませんの?」
「違う」
「気管支カタルでは?」
私は、もはや涙ぐんでおたずねした。
「違う」
結核《テーベ》! 私はそれだと思いたくなかった。肺炎や浸潤や気管支カタルだったら、必ず私の力でなおしてあげる。けれども、結核だったら、ああ、
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