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太宰治「斜陽」37

その枝にハイデルベルヒの若い学生が、ほっそりと縊れて死んでいたという。

「ママ! 僕を叱って下さい!」
「どういう工合いに?」
「弱虫! って」
「そう? 弱虫。……もう、いいでしょう?」
 ママには無類のよさがある。ママを思うと、泣きたくなる。ママへおわびのためにも、死ぬんだ。

 オユルシ下サイ。イマ、イチドダケ、オユルシ下サイ。

 年々や
 めしいのままに
 鶴のひな
 育ちゆくらし
 あわれ、太るも      (元旦試作)

 モルヒネ アトロモール ナルコポン パントポン パビナアル パンオピン アトロピン

 プライドとは何だ、プライドとは。
 人間は、いや、男は、(おれはすぐれている)(おれにはいいところがあるんだ)などと思わずに、生きて行く事が出来ぬものか。
 人をきらい、人にきらわれる。
 ちえくらべ。

 厳粛=阿呆感

 とにかくね、生きているのだからね、インチキをやっているに違いないのさ。

 或る借銭申込みの手紙。
「御返事を。
 御返事を下さい。
 そうして、それが必ず快報であるように。
 僕はさまざまの屈辱を思い設けて、ひとりで呻いています。
 芝居をしているのではありません。絶対にそうではありません。
 お願いいたします。
 僕は恥ずかしさのために死にそうです。
 誇張ではないのです。
 毎日毎日、御返事を待って、夜も昼もがたがたふるえているのです。
 僕に、砂を噛ませないで。
 壁から忍び笑いの声が聞えて来て、深夜、床の中で輾転しているのです。
 僕を恥ずかしい目に逢わせないで。
 姉さん!」

 そこまで読んで私は、その夕顔日誌を閉じ、木の箱にかえして、それから窓のほうに歩いて行き、窓を一ぱいにひらいて、白い雨に煙っているお庭を見下しながら、あの頃の事を考えた。
 もう、あれから、六年になる。直治の、この麻薬中毒が、私の離婚の原因になった、いいえ、そう言ってはいけない、私の離婚は、直治の麻薬中毒がなくっても、べつな何かのきっかけで、いつかは行われているように、そのように、私の生れた時から、さだまっていた事みたいな気もする。直治は、薬屋への支払いに困って、しばしば私にお金をねだった。私は山木へ嫁いだばかりで、お金などそんなに自由になるわけは無し、また、嫁ぎ先のお金を、里の弟へこっそり融通してやるなど、

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