■名言■
生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。(太宰治「斜陽」より)学問とは、虚栄の別名である。人間が人間でなくなろうとする努力である。(太宰治「斜陽」より)人間は嘘をつく時には、必ず、まじめな顔をているものである。(太宰治「斜陽」より)不良でない人間があるだろうか。(太宰治「斜陽」より)人間三百六十五日、何の心配も無い日が、一日、いや半日あったら、それは仕合せな人間です。(太宰治「ヴィヨンの妻」より)いつまでも、いつまで経っても、夜が明けなければいい、と思いました。(太宰治「ヴィヨンの妻」より)人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。(太宰治「ヴィヨンの妻」より)人間は不幸のどん底につき落とされ、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。(太宰治「パンドラの匣」より)人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また、「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。(太宰治「パンドラの匣」より)死と隣合せに生活している人には、生死の問題よりも、一輪の花の微笑が身に沁みる。(太宰治「パンドラの匣」より)君のような秀才にはわかるまいが、「自分の生きていることが、人に迷惑をかける。僕は余計者だ」という意識ほどつらい思いは世の中に無い。(太宰治「パンドラの匣」より)人間は死に依って完成させられる。生きているうちは、みんな未完成だ。虫や小鳥は、生きているうちは完璧だが、死んだとたんに、ただの死骸だ。完成も未完成もないただの無に帰する。人間はそれに較べると、まるで逆である。人間は、死んでから一番人間らしくなる、というパラドックスも成立するようだ。(太宰治「パンドラの匣」より)神に問う。信頼は罪なりや。果たして、無垢の信頼心は、罪の源泉なりや。(太宰治「人間失格」より)恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。(太宰治「人間失格」より)大人というものは、侘しいものだ。愛し合っていても、用心して、他人行儀を守らなければばらぬ。なぜ、用心深くしなければならないのだろう。その答は、なんでもない。見事に裏切られて、赤っ恥をかいたことが多すぎるからである。人はあてにならない、という発見は、青年の大人に移行する第一課である。大人とは、裏切られた青年の姿である。(太宰治「津軽」より)
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